ふとしたきっかけで、『八月の夜はバッティングセンターで。』というドラマを観た。
元プロ野球選手がバッティングセンターに訪れる女性たちのバッティングフォームを見ながら悩み事を解決していくという謎のドラマなのだが、独自の野球論に引きずりこんで解決にもっていくところがバカバカしくも面白かった。
このドラマを観ながら思い出したのだけれど、確か大学生くらいの頃、友人らから悩み相談を持ち掛けられていたときに、何かとバッティングセンターに行くことを勧めていた時期があった。「バイトでさ~」「彼女(彼氏)がさ~」みたいな愚痴に近い相談をされたときには、「オッケー、とりあえずバッセン行っとこう!」くらいなノリで。
その当時には、本当に、心の底から、バッティングセンターが最強のストレス解消法だと信じていた。しかし、もうちょっと大人になってから、いざ自分が久々に行ってみて、どんなにボールを打ちまくっても心のモヤモヤはなくならず。体の重さだけが残り。どうやら、バッティングセンターで解決できる悩み事もあれば、そうでもない悩み事もあるようだ、ということを思い知り、同時に自分が安易な発言をしてきたことについて罪悪感に苛まれたのだった。
そういう意味では、バッティングセンターは全ての問題解決の場になれるわけではないが、問題に気づけるきっかけの場にはなりえるのかもしれない。だとすると、その場に相談に乗ってくれる誰かがいてくれるのは、確かに心強く、またストーリーとしても妥当ではある。
奥深さ云々について考える前に、さっさとバットを振れ!という話ではあるが。
元プロ野球選手がバッティングセンターに訪れる女性たちのバッティングフォームを見ながら悩み事を解決していくという謎のドラマなのだが、独自の野球論に引きずりこんで解決にもっていくところがバカバカしくも面白かった。
このドラマを観ながら思い出したのだけれど、確か大学生くらいの頃、友人らから悩み相談を持ち掛けられていたときに、何かとバッティングセンターに行くことを勧めていた時期があった。「バイトでさ~」「彼女(彼氏)がさ~」みたいな愚痴に近い相談をされたときには、「オッケー、とりあえずバッセン行っとこう!」くらいなノリで。
その当時には、本当に、心の底から、バッティングセンターが最強のストレス解消法だと信じていた。しかし、もうちょっと大人になってから、いざ自分が久々に行ってみて、どんなにボールを打ちまくっても心のモヤモヤはなくならず。体の重さだけが残り。どうやら、バッティングセンターで解決できる悩み事もあれば、そうでもない悩み事もあるようだ、ということを思い知り、同時に自分が安易な発言をしてきたことについて罪悪感に苛まれたのだった。
そういう意味では、バッティングセンターは全ての問題解決の場になれるわけではないが、問題に気づけるきっかけの場にはなりえるのかもしれない。だとすると、その場に相談に乗ってくれる誰かがいてくれるのは、確かに心強く、またストーリーとしても妥当ではある。
奥深さ云々について考える前に、さっさとバットを振れ!という話ではあるが。