2004年12月

実家に帰ってきました。

こんばんは。
ようやく課題のレポートも仕上がったので、今日実家の静岡に帰ってきました。
現在、いつもの自分の部屋、いつものソファーに座ってパソコンをやっているわけ
なのですが、心地良すぎて眠くなってきます・・あぁ。
この、もう何もやらなくていいんだ~という開放感は、ある意味危険ですね。
名古屋に戻る1月5日まで、怠惰な生活の一路を辿ることがないよう気をつけたいものです。


しかし、久しぶりに会った猫に異変が。
冬も半ばとあって、体型が戦闘モードに!!
どこから見てもころころ、ふわふわしていて、毛玉みたいです。
飼い主がトマト、納豆、トマトで頑張っているときに、その体型はないだろう・・。

またしても面白い記事発見

~毎日新聞より抜粋~

女子学生は、いま時の男子学生をどう見ているのか? 
大阪国際大学人間科学部(守口市)の心理コミュニケーション学科の12人が、女子学生を対象にしたアンケートを、「男の値打ち 女の目」と題した卒業論文にまとめた。結果は、「幼児的、無責任」など、どうも評判はよろしくない。【梶川伸】
 宮本二美生教授のゼミで学ぶ4年の奥村彩子さん、砂山素美さんら女子学生が共同で調査した。質問はコミュニケーション能力、社会に対する姿勢など20項目。調査対象は、阪大、京大、神戸大、関関同立や女子大など京阪神の4年制15大学の計300人。11項目については、回答をプラスイメージとマイナスイメージに分けてまとめた。
 男子学生の印象では、幼児的52・3%がトップ。優しい45%が2番だが、バカ40・3%と続いた。言動から思いつく四字熟語では、大言壮語、優柔不断、軽佻浮薄(けいちょうふはく)が上位を占めた。
 評価を具体的に聞くと、意思がかたい、迫力がある、節度がある、マナーがよいの質問で、「ノー」が「イエス」を上回った。また、デリカシーがない、がさつ、見えっ張り、下心が見え見え、未熟、うそをつく、口が軽い、の質問で「イエス」が多かった。この項目では、「元気がない、社会性がない、幼い」という分析をしている。
 授業態度では、不まじめは61%を占めた。理由として、183人が「寝ているか、しゃべっている」を挙げた。
 全体では、マイナス回答の総計が8702で、プラス回答の7659を大きく引き離した。これらから、男子学生の5悪を「幼児的、バカ、無責任、無神経、うそつき」とまとめた。そのうえで、「大人になりきれていない」という声が強いと分析している。やる時はやる、責任感がある、といった好印象の回答もかなりあったが、女子学生の「期待値」も入っていると見ている。
 研究メンバーの川岸真紀さんは「目的を持たず、何となく生きている人が多い」と語るが、「女子学生も一緒と思う」と付け加えた。
 宮本教授は「男子学生は幼いという印象を持っていたが、やはりそうか。他人を理解しない、主体性がないなど、大人になりきれていない。危機には違いないが、学生自身が危機感を持っているところに救いがある」と分析している。



・・・・・・・いやさ、幼児的が52.3%っていうのはなんとなくわかるんですけど



「バカ」が40.3%っていうのは黙っていられないだろう!!男として!!


がぁーっ!!吼えるぞっ!!
「やはりそうか」じゃないよ宮本教授。クーデター起こしますよ!


それにしても、阪大や京大の学生も入っているのにこの結果とは一体どういうことだ。
まあ、確かにうちの大学は授業中に寝てる人ととか多いけどさ、他の大学はそうじゃないと思ってたんだよ。しかし、こんな統計が出てしまうと恐いものですね。

『四季~春~』読了です。

テストも近く、レポートも山のように出ているのに何を読んでるんだっていう
話ですけどね。
読んでしまうものは読んでしまうのです、条件反射のように。(笑)
この『四季~春~』という本は森博嗣さんの犀川&萌絵シリーズに出てくる天才プログラマー真賀田四季の物語でもあり、春、夏、秋、冬という四作品のうちの一作目となります。
真賀田四季といえば森ミステリーを読む人ならみな知っているでしょうね。これほどインパクトのあるキャラクターはなかなかいません。
おそらく数ある小説の中で書かれている天才と評価されている人物の中でも、最もそう呼ぶにふさわしい人物だと言えるのではないでしょうか。
というか、もはや人なのかどうかも読者が判断できる範疇ではないような気がします。
以下、紹介のため本文から抜粋の抜粋です。


「165に3367をかけるといくつかしら?」女は突然質問する。

「55万・・・・・・、5555です。5が六つですね。」萌絵はすぐ答えた。それから、少し驚く。
「どうして、そんな計算を?」

「貴女を試したのよ。計算のできる方だと思ったから・・・・・・」女は少し微笑んだ。
「でも、7のかけ算が不得意のようね。今、最後の桁だけ時間がかかったわ。何故かしら?」

「別に不得意ではありません。7は好きな数字です」萌絵は脚を組んで、気持ちを落ち着かせる。

「いいえ、貴女は気がついていないのね。初めて九九を習ったとき、貴女は、7の段が不得意だったはずよ。幼稚園のとき?もっと小さかったかしら?7は特別な数字ですものね。貴女、兄弟がいないでしょう?数字の中で、7だけが孤独なのよ」

~以上、犀川&萌絵シリーズ一作目『すべてがFになる』から抜粋~




5歳頃。院長との対話。「何に興味を持っているのか」という問いに対して

「物理学、工学のプロセス、あるいはツールとして数学を学んでいます」四季は答えた。
「ときどき遊びで問題を解くだけです。答が得られているものは、そんな必要がありませんから」

「答が得られていない問題を解いたことがあるのかな?」

「いえ、まだそこまでは。答が得られていない問題は、私が知る限りでは、かなりの計算量が必要です。こうすれば解けるのではないか、といった道筋は見えても、その先は遠く、とても確かめている時間が私にはありません。確かめたところで、得られるものも少ないように思えます。」

「できれば、君がノートを取ってくれると、周りの人間は助かると思うよ。君には無意味なことでも、周辺には、それで悩んでいる連中がたくさんいそうな気がする。」

「今は、私の手は、とても文字が書けるような耐久性を持っていません。文字を書いていたら、どれだけ時間があっても足りないでしょう。思考の記録をもっと迅速に行うようなシステムがあれば、嬉しいのですが」

「頭の中にノートがあるんだね?どんなノートかな?幾つくらいあるんだい?」

「そう、大きさはどれくらいかしら。とても大きい、見渡す限りノートです。それで、どこへでもすぐに移動ができる。どこかを切り取って、別のところに重ねることもできます。幾つという概念はありません。」

「どこに書いたのか、すぐに見つかるのかな?」

「ええ、イメージで検索できます」


~以上、『四季~春~』より、院長との会話からの抜粋~


とまあこんな感じです。恐ろしい5歳児です。(笑)
本当に恐ろしいのは彼女はこのような思考を持ちながら、一定のイベント性にも対処できるというところにあります。
たとえば、上に書いたようなある意味で人外の会話(または思考プロセス)を垣間見せると同時に、全く普通の子供のように振る舞い、場に溶け込むだけの適応性も保持しています。
(もっとも、彼女は自分の中に独立した複数の人格を持っており、それらいわゆる俗的なイベントに対応するために、他の人格が所持している情報を利用してるのだと考えられますが。)

こんな人間が本当にいるのだろうか・・と思わせられるのですが、森博嗣さんは大学教授だけに出会いも多く、誰かをモデルにしてこの作品を書いている可能性が高いわけで、もちろんその人物そのものというわけではないでしょうが、それに近い思考をする人と出会ったことがあるんでしょうね。もしいるのなら、どういう人なのか見てみたいです。(笑)



あ、ちなみにレポート書くための本もちゃんと読んでいますよ。
渡辺公三さんの『レヴィ・ストロース』という・・・まあタイトルのまま、レヴィ・ストロースの思想について書かれている本なんですけどね。
参考文献などもたくさん取り上げているので参考になりますし、内容も面白いです。
難点をあげるとすれば少し専門用語が多いということでしょうか。

ではまた~。

寒い・・・。

こんばんは。
つい最近まで、「もう12月も半ばなのに暖かいな~」なんて言ってたら
ついに来ましたよ。ずっと寝ていたい季節の到来です。
あぁ・・クマになりたい。でも雪は見たい。

そういえば、そろそろクリスマスですね。
近くの家々では門や庭の木などをイルミネーションで飾ってあるのを見て、
ああ、そういえばもうそんな時期だなぁとか思ったりします。

さて、今年は何して過ごそうかなどと思ったりもするのですが、どうしようかなぁ。
考え中です。何か良い案があれば教えてください。

ではまた~。


ドラクエ8

ぼちぼちやってます。

それにしても、今回は主人公が地味ですね。
ドラクエは主人公が喋らない設定なので、多少目立たなくなるのは仕方ないこと
だと思うんですが、それでも地味です。地味地味です。
戦闘では欠かせない存在なんですけど、いざイベントに入ると「あれ?いたの?」ってな
感じです。きっと他のキャラが目立ちすぎてるんだよなぁ・・・。
まだ謎が残ってるので、終盤に向かうに連れて目立ってくるような展開を期待します。

ふと気になったことが一つ。
ドラクエってどうしてセーブするところが教会なんでしょうか。
どうして神父が生き返らせたり、呪いを解いたり、セーブしたりするんでしょうか。
今までは特に気にしていなかったんですけど、よく考えると変ですよね。
「おいのりをする」とか「おつげをきく」とか、、シリーズ(少なくとも3からは)通して同じだから、不自然に思ったりはしませんけど、よく考えるとかなり不自然ですよね。
モデルとしてはキリスト教を彷彿とさせますけど、何かしてもらうためにいちいち寄付を求められることが、救済を主とする宗教からはかけ離れた現実感を感じさせます。
日本人の無宗教感は、シリーズ一作につき300万本以上売れるこのゲームが一つの影響を与えているのではないかとも思えるのです。

このゲームは始めるときも終わる時も教会の神父様の前なんです。(戦闘で全滅とかしなければ大抵はそうなります)
頻繁に「おいのり」をし、「おつげ」をきき、仲間を「治療」してもらったり、「生き返らせ」てもらったりしていれば、ああ、教会や神父様はこんなことをしてくれるものなんだな・・という(もちろん生き返らせるなんていうことは現実世界では論外ですが)漠然とした宗教思想が定着するわけです。
すべての処置をしてくれるという全能感と、シリーズを通して付き合うことになるということから生まれる郷愁が、仮想現実の枠のみではなく、現実にも現出するとすれば、その人の内部における無宗教感を助長することにも繋がるのではないでしょうか。



・・・・なんて、わけのわからないことを考えながらゲームやっても疲れますよね。(笑)
まだクリアまで相当かかりそうなので、のんびりと楽しみたいと思ってます。ではまた。

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