2009年04月

静と動の

実家組みの幼馴染Kが道路清掃活動に参加しているらしい。
昼間は社会人、学生をやっている人たちが深夜に集まり活動する。

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Kにしたって忙しくないわけではない。
彼は美容師である。仕事が終わってから、少ない娯楽時間、睡眠時間を削って清掃活動に参加することは大変なことだ。しかし彼は「楽しい!」と言っている。多くの仲間に会えることも、沼津の街に貢献できることも。僕が最初に話を聞いたのは数年前。よく「メンバーのなかには同職者(美容師や理容師)を含めて、学生や、主婦や、サラリーマンや、面白いんだけどプロレスラーなんかもいるよ」と聞いていて興味深いと感じていた。

今通っている専門学校の学生のなかにも沼津出身の方が1人いて、よく話すのだけれど、沼津駅の周辺はほとんど変わらない。駅を一歩出て、そこからグルリ見渡す光景は20年前と見分けがつかないのではないか、というほどである。ただ、実際その内側の活気は以前とは比べ物にならないほど衰えてしまっている。丸井が撤退してしまった後、若い人たちの多くは沼津ではなく、静岡や富士、あるいは東京へ出たり、御殿場のアウトレットへ行って買い物をするようになった。沼津の街中を散歩しても出会う年齢層は一定化しつつある。以前は学生らが闊歩しているイメージが強かった仲見世商店街。今、平日に行ってみると閑散としていて少し寂しくなる。

沼津の街中は変わらない。駅前はさしずめ沼津の”静”の部分にあたる。
しかし、郊外となるとそうはいかない。僕と幼馴染のKは沼津のなかでも郊外の出身だ。正確にいうと沼津インターの近くで育ってきた。2000年以降に本格化してきた第二高速設立に伴う大規模な区画整理を目の当たりにしてきた世代である。中学の頃に利用していた通学路。自然豊かで起伏に飛んだ山道はほとんど見る影もなく平坦な空き地に変えられてしまった。中学生の頃は区画整理があるなんて話を聞いてもピンとこなかった。「へー」と言って、それで終わりであった。しかし実際に事態に直面してみると胸のなかがモヤモヤしてくる。大学の長期休暇期間、名古屋から帰ってくるたびに思い出の道が少しずつ削られ、空き地へと変えられてゆく光景を目の当たりにしては、やり場のない憤りを感じた。もう少し早くに何らかの行動を起こしておけばよかった、と思った。

Kと僕は飲みに行くと必ずこんな話をする。
突然どこからともなく現れたアホみたいにバカでかい重機。
奴等は一体なんなのか。金輪際、あんなものに好き勝手やらせてなるものかと。

清掃活動は彼にとって戦いの手段である。
それは日本のマスメディアがよく語るような”ボランティア”活動ではない。徹底して戦略的な手段の一端でもあるのだ。

創作者たち

最近、というか、福祉関連の仕事を始めてからよく思うことなんだけれど、作家や漫画家を目指していたり、身近な人が作家や漫画家として活躍している人に出会うことが多い。

例の子供たちと遊ぶバイトにも漫画家の卵とでも言える女の子が一人いた。
去年の9月頃に家庭問題が起きたとかで島根に帰ったのだが、最近でも時々「ちゅーっす!」とかいうタイトルで気合の入ったメールが届く。彼女の夢は週刊少年ジャンプへの連載である。目指すは週刊少年ジャンプ”のみ”である。他の雑誌は興味ないらしい。口だけじゃなく行動力もあって、すでに何度も集英社に単独持込みをしてるらしい。イラストだけ見せてもらったことがあるのだがかなり上手い。一度佳作まで行ったこともあるらしく、まだ若いので、もしかしたら大成するかもしれないと期待してたりする。最近のジャンプは(個人的に)全く面白くないから一石を投じて波紋を巻き起こして欲しいところだ。ちなみに、一緒に働いてたときにはずっとゴスファッションだったのだが、最近になってゴスロリだかお姫様系だかにチェンジしたらしい。時々「ツートンカラーがなつかしいっすよ、先輩・・・」とかメールが届くが全く信じちゃいない。そんな言葉遣いのお姫様がいるかよ。

そして、今通っている専門学校にはナント現役作家のKさんがいる。
もちろん本も出版されていて、2、3日前にamazonで購入したところである(まだ読んでないのだが!すんません!)。雰囲気的には作家というかんじではなく気さくなお兄ちゃん的存在だ。よく黒っぽいシャツとディズニーキャラクターのシャツを重ね着して登校してくる。この前の飲み会でも着ていたから、どうやら相当お気に入りのようだ。こんなことを書くと、Wゼミの皆さんは「ディズニーか!」と渋い顔で叫ばれそうな気がするが、ディズニー”ランド”の方は特に好きではないようである。話してみると色々な仕事を転々とされてきたこともあって面白い。やはり作家業だけで暮らしていくのは経済的に厳しいらしく、まずは専門学校に入って資格を取ることを決意したらしい。僕は是非この現場で経験したことをテーマの中心にした作品を書いて欲しいという熱い気持ちを伝えた。近年、精神医学や精神病患者との関わりをテーマにした作品は多くなってきたが、なにやらエンタテイメント性に偏っていて(もちろんそうした要素も必要だとは思うけれど)現場の事実が歪められているように思えてならない。

他にも2、3人くらい知り合いができた。
いつ、どんな場所で、どんな人と出会うかなんてわからない。
本当に当たり前のことだけれど、本当に強くそう思う。

グレープフルーツには遠い

出席確認時のこと。

「○○君!」

「はい!」

「君の名字はよく憶えている」

「え?どうしてですか?」

「わたしに”ぬらりひょん”というあだ名をつけてくれたのが○○という名字の学生だった」

なるほど(納得)。
と、イエイエ。誰か知らないが余計なことを・・・。
なにせ妖怪と馴染み深い場所に住んでおりますもので。
今度会うことがあったら同じ血族(?)として謝罪するように言い聞かせます。

そんなこんなで楽しく学校行ってます。
ただ、やはり長時間座学は辛い。あとなんか知らんけど、うちの先生のうち半数以上の方はほとんど「板書をしない」。場合によっては一文字も書かずに全て口頭での解説に終始することもある(特に医学系の先生)。大学の講義とかならいざしらず、国家試験合格のための授業で板書ナシってのはいかがなものかと。以前日記にも書いた「講義録」のシステムは授業を休んだ人の救済策というよりも板書をしない先生方への対応策なのじゃなかろうか。当日、ノート当番に選ばれた人はいわば”スケープゴート”である。専門用語を早口でまくしたててゆかれる先生の一言一句を悪戦苦闘しながら(場合によってはICレコーダーか何かを用いながら)聴取して自宅にてノートに書き出してゆく。それをコピーして学生の間でシェアリング。なんという苦味のシステムだろう。まるで生のゴーヤのようだ。

火曜日には読書会なるもののオリエンテーションが急遽開催された。
なんか面白そうだなーと思ってたのだが、20人以上の学生(クラスの半数以上!)が集まっていて一気にテンションが下がった。他の理由はよくわからないのだけれど説明を聞いているうちに冷めてしまったので登録はしないことにした。僕はこういうとき自分の直感というか気分っていうのは大切にしている。「なんとなくやめたほうがいいような気がする」ときにはバシッとやめてしまったほうがいいのである。逆もまた然り。まぁ、読書会だったら、そこらへんの人たち5、6人集めてやりゃいいのだから特に問題はない。

フレークの仮面

今日は授業開始からちょうど一週間目。
授業全体の”流れ”は一応掴めたような気がする。
もっとも、各授業ともに初回は自己紹介や雑談が多いので「これで大丈夫!」と言うことはできないが。

朝9時から夕方までぶっ続けの座学は結構キツイ。
これが全て演習形式ならいいのだが(眠くなったら議論できるから)。まさかこれほどまでに講義形式の授業への抵抗力がなくなっているとは思わなかった。よく考えてみると、大学院の授業はほとんど演習形式だったし、大学の学部時代も3年次以降はほぼゼミにしか出席してない。ってことは、これほど長時間の講義形式授業を受けたのは4年ぶりくらいになるわけだ。なるほどね。肩が凝ったり眠くなるのも当たり前だろう。・・・という言い訳をしておく笑

さて、授業。面白いのと面白くないのが半々、といったところだろうか。
専門科目は総じて面白い。ただ、問題なのは国家試験対策としてやらねばならない一般教養科目である。今日は社会学と法学をやったのだが、何か一般理論をやると見せかけておいて、その実、極論じみた考え方が言説のあちらこちらに散りばめられていて「危ないなぁ」という感はある。まぁ、そこらへんはこちらで解釈すれば良いだけの話なのだけれど。お腹が空いているときに聴いていると解釈と咀嚼がゴチャゴチャになって涎がダラリ。集中できない。今日などはスペンサーからデュルケムへ、ジンメルからウェーバーへ、最終的にはパーソンズまでポンポンポンと飛んでいき、終了。材料を切る暇もないから自宅で調理。果たしてこんなんで大丈夫なのだろうか。

あと気づくのは学生のモチベーションが非常に高いということ。
予想はしていたが大学生の比ではない。休み時間中も授業中のテーマに関連してそこら中で議論が巻き起こっている。といっても、緊張感でギスギスしているわけではなく、適度に力が抜けている。世間話や笑い話をして、そのなかで本格的な議論に発展するケースが多い。性別年齢に関わらず目的意識が非常に強く、自己完結せずに色んな方向に触覚を伸ばしているかんじがする。身近な人に「よー」と声をかけると「やー」という声が飛んでくる。教室だけじゃなくてトイレのなかでも挨拶が飛び交っている。経歴の多種多様さも相まって、皆が皆に興味を抱いているし、それを伝えようという意思がよくわかる。ということで、凄く雰囲気が良い。多くの大学生は最初は大学ではなく専門学校に入るべきなのかもしれない。

今日はたまたま隣に座ったYさんに夜勤の仕事のことについて尋ねられた。
それを機に周りの人たちから色々な質問が飛んできた。
結構多いのは「どうやってそんな仕事見つけたの?」という質問である。

もちろんタウンワークだ。
僕は名古屋時代から今まで10ちょっとのアルバイトをしてきたけれど、採用されたアルバイトは全てタウンワークで見つけた。僕のなかでタウンワークという雑誌は神格化している。なぜって、「(いま、こんなバイトを探してるんだけどなぁ・・・この場所で、この時間帯にできて、時給が○○○○円くらいで・・・ないかなぁ)」と空想しながらタウンワークをペラペラとめくってると、必ずそれに見合った募集要項を発見するからである。東京に来てからは、スーパーのバイトもそうだし、子供たちと遊ぶバイトも、夜勤の非常勤パートももちろんそう。そして、すぐに応募して面接をすると、なぜか確実に採用されてしまうのだから。そして、多くの場合、人間関係も、仕事内容も、給与のほうも良好である。神の手がどこかに広がっているのではないか、と思ったこともある。それくらい僕にとってタウンワークは無敵なのだ。


追記

昼間はNと一緒にカレーを食べてきた。

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上に乗っかってるのはニンニクチップと見せかけてコーンフレークである。
野菜カレー750円也。結構美味しかった。また行こう。

草食系

最近、草食系男子なる言葉が流行しているようである。
僕自身よく指摘されることがある。「Youって草食系だよね?」。
全く謎だ。僕はベジタリアンではない。カツ丼が好きだ。比喩?いやいや。
しかしこれも癒し系の亜種だろうか。

猫や犬を飼ったことのある人なら一度は見たことのある光景がある。
犬や猫の遊歩中、彼らは何を思ったのか猛然と道端に生えている草を食べることがある。バクバクと。引き千切るようにして。それを見て、僕などは最初こう思った。「お腹が空いているんだろうか」「喉が渇いてるんだろうか」、でもそれだけじゃない。彼らは大抵そのあとに嘔吐するのである。食べた物を吐き出すために草を食むのである。人間も同じだ。名無し草だけ食べていて生きれる人間なんて”そうはいない”。美味そうな草でも洗って調理する必要がある。不味い草は問答無用に不味い。毒草は食べれば死ぬ。人は、男は、女は、肉を食べる。けれど、胃もたれして嘔吐することはあるかもしれない。その嘔吐に理由づけをするために草を食べることもある。他の動物に比べて人間は理由付けが必要な面倒くさい生き物だから。

僕らはアルパカに嘲笑されていることだろう。
彼らが好む苔生す岩は、あの高いビルよりも遥か上方で息づいている。斜陽。日本人男性の多くは目を眩ませるばかりだ。そして、ちょっとだけ熱されて、ホンノリ温かくなった機械部品によって組み立てられた大麻を食んでいる。
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