実家組みの幼馴染Kが道路清掃活動に参加しているらしい。
昼間は社会人、学生をやっている人たちが深夜に集まり活動する。
Kにしたって忙しくないわけではない。
彼は美容師である。仕事が終わってから、少ない娯楽時間、睡眠時間を削って清掃活動に参加することは大変なことだ。しかし彼は「楽しい!」と言っている。多くの仲間に会えることも、沼津の街に貢献できることも。僕が最初に話を聞いたのは数年前。よく「メンバーのなかには同職者(美容師や理容師)を含めて、学生や、主婦や、サラリーマンや、面白いんだけどプロレスラーなんかもいるよ」と聞いていて興味深いと感じていた。
今通っている専門学校の学生のなかにも沼津出身の方が1人いて、よく話すのだけれど、沼津駅の周辺はほとんど変わらない。駅を一歩出て、そこからグルリ見渡す光景は20年前と見分けがつかないのではないか、というほどである。ただ、実際その内側の活気は以前とは比べ物にならないほど衰えてしまっている。丸井が撤退してしまった後、若い人たちの多くは沼津ではなく、静岡や富士、あるいは東京へ出たり、御殿場のアウトレットへ行って買い物をするようになった。沼津の街中を散歩しても出会う年齢層は一定化しつつある。以前は学生らが闊歩しているイメージが強かった仲見世商店街。今、平日に行ってみると閑散としていて少し寂しくなる。
沼津の街中は変わらない。駅前はさしずめ沼津の”静”の部分にあたる。
しかし、郊外となるとそうはいかない。僕と幼馴染のKは沼津のなかでも郊外の出身だ。正確にいうと沼津インターの近くで育ってきた。2000年以降に本格化してきた第二高速設立に伴う大規模な区画整理を目の当たりにしてきた世代である。中学の頃に利用していた通学路。自然豊かで起伏に飛んだ山道はほとんど見る影もなく平坦な空き地に変えられてしまった。中学生の頃は区画整理があるなんて話を聞いてもピンとこなかった。「へー」と言って、それで終わりであった。しかし実際に事態に直面してみると胸のなかがモヤモヤしてくる。大学の長期休暇期間、名古屋から帰ってくるたびに思い出の道が少しずつ削られ、空き地へと変えられてゆく光景を目の当たりにしては、やり場のない憤りを感じた。もう少し早くに何らかの行動を起こしておけばよかった、と思った。
Kと僕は飲みに行くと必ずこんな話をする。
突然どこからともなく現れたアホみたいにバカでかい重機。
奴等は一体なんなのか。金輪際、あんなものに好き勝手やらせてなるものかと。
清掃活動は彼にとって戦いの手段である。
それは日本のマスメディアがよく語るような”ボランティア”活動ではない。徹底して戦略的な手段の一端でもあるのだ。
昼間は社会人、学生をやっている人たちが深夜に集まり活動する。
Kにしたって忙しくないわけではない。
彼は美容師である。仕事が終わってから、少ない娯楽時間、睡眠時間を削って清掃活動に参加することは大変なことだ。しかし彼は「楽しい!」と言っている。多くの仲間に会えることも、沼津の街に貢献できることも。僕が最初に話を聞いたのは数年前。よく「メンバーのなかには同職者(美容師や理容師)を含めて、学生や、主婦や、サラリーマンや、面白いんだけどプロレスラーなんかもいるよ」と聞いていて興味深いと感じていた。
今通っている専門学校の学生のなかにも沼津出身の方が1人いて、よく話すのだけれど、沼津駅の周辺はほとんど変わらない。駅を一歩出て、そこからグルリ見渡す光景は20年前と見分けがつかないのではないか、というほどである。ただ、実際その内側の活気は以前とは比べ物にならないほど衰えてしまっている。丸井が撤退してしまった後、若い人たちの多くは沼津ではなく、静岡や富士、あるいは東京へ出たり、御殿場のアウトレットへ行って買い物をするようになった。沼津の街中を散歩しても出会う年齢層は一定化しつつある。以前は学生らが闊歩しているイメージが強かった仲見世商店街。今、平日に行ってみると閑散としていて少し寂しくなる。
沼津の街中は変わらない。駅前はさしずめ沼津の”静”の部分にあたる。
しかし、郊外となるとそうはいかない。僕と幼馴染のKは沼津のなかでも郊外の出身だ。正確にいうと沼津インターの近くで育ってきた。2000年以降に本格化してきた第二高速設立に伴う大規模な区画整理を目の当たりにしてきた世代である。中学の頃に利用していた通学路。自然豊かで起伏に飛んだ山道はほとんど見る影もなく平坦な空き地に変えられてしまった。中学生の頃は区画整理があるなんて話を聞いてもピンとこなかった。「へー」と言って、それで終わりであった。しかし実際に事態に直面してみると胸のなかがモヤモヤしてくる。大学の長期休暇期間、名古屋から帰ってくるたびに思い出の道が少しずつ削られ、空き地へと変えられてゆく光景を目の当たりにしては、やり場のない憤りを感じた。もう少し早くに何らかの行動を起こしておけばよかった、と思った。
Kと僕は飲みに行くと必ずこんな話をする。
突然どこからともなく現れたアホみたいにバカでかい重機。
奴等は一体なんなのか。金輪際、あんなものに好き勝手やらせてなるものかと。
清掃活動は彼にとって戦いの手段である。
それは日本のマスメディアがよく語るような”ボランティア”活動ではない。徹底して戦略的な手段の一端でもあるのだ。