2011年04月

近況報告、いくつか

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・ついに、といってはなんだが、新しいノートPCを購入した。今年の2月モデルが6万円也。ノートPCも安くなったものだ。初代PCが22万7000円、二代目PCが14万円、そして、今回購入した三代目PCが6万円と、どんどん安くなっているので四代目を買うときには3万円くらいになってるはず(希望的観測)。それにしてもNewパソさんはどうにも扱いにくい。ただいま色々と試行錯誤中である。まず、そもそもブラウザが一気に”4世代”くらいジャンプしたので使い辛い。説明書見ながらいじっていると「こんな機能、必要あるの?」と思えてくるのだけれど、世間的には必要なのだろう。ううーむ。にしても、最近出てきたノートPCのキーボードはボタンみたいだね。あれってキーボードとは思えない。違和感。なんとなく敬遠してしまう。

・仕事はようやく落ち着いてきた。ただ、新規申請調査はいまだに多い(週1ペース)。前々回の日記で触れた内容とはまた別件で福島原発事故の影響が現れ始めた。僕が担当している福島県いわき市の病院に入院中の受給者が身内の自宅に避難していたようだ。つい先日、身内の方から連絡あった。本人も、身内も、無事で本当によかった。まずはホッと一安心。だが、このまま長期間身内の家で生活することになれば福島県内の自治体に保護「移管」ということになる。この大変な状況のなかで、移管云々の話し合いや手続きが可能かどうか。今後は査察(上司)と福島県内の自治体や保健所との調整になる。はてさて。

・上記の件とはまた別の話になるが、受給者の一人(Tさんとする)が宿泊所というところに入った。あまり知られていないのだが(専門学校の生活保護テキスト上では、たった2行ほどの説明だったように思う。「宿所提供施設」と混同してしまいそうだが、また別のようだ)、制度には「生活困窮のために住居がない人が低廉な料金で利用することが可能な」施設、とある。入居者の多くはホームレスや住居のない高齢者。もちろん生活保護受給者も対象となる。施設は場所によって環境や規律は様々だが、入居した人から「住めば都」という話はあまり聞いたことがない。

・Tさんからはほぼ毎日、宿泊所に入ってからの過酷な生活について語られる。そして、実はここ、制度には「低廉」とあるが費用も結構高い。確かに住宅費に関しては比較的安価である(共同部屋ということを考えれば決して安いとも言い切れないが)。だが、この住宅費に施設利用料(食費、光熱水費、共益費等)を加えると9万円はかかるとみる必要がある。宿泊所に入居している単身者に支給される一か月分の生活保護費はおよそ10万円から12万円程度である。住宅費と利用料を支払った後に手元に残る生活費は1万円から多くても3万円程度。もちろん携帯電話料金などを含む諸々の費用や娯楽交際費用などは本人負担になる。仕事をしたらしたで収入認定(その分保護費が削られるということだ)。はたしてこれで自立に結びつくのだろうか。

・ところで、4月から向い側の席に座っているTさんが面白い。この前、電話対応のときに、ある受給者の名前(漢字)の説明をしていた。電話口の人に漢字の「場」を伝えようとしていたようなのだが、凄く真面目な顔して「場外馬券場の”ば”です。場外馬券場の”ば”」とか言ってた。僕と、隣の介護担当の人、爆笑。よりによってそれかよ、と。逆に混乱するだろう、と。Tさんなりのジョークなのかなんなのか、よくわからないし、聞かないほうが面白そうだから聞かない。そのTさんがなぜか漫画の『Akira』を借してくれた。めっちゃ分厚い上に何やら年季物のようだ。下手に扱うとボロボロと(大学時代に古本屋で購入した九鬼周造の『西洋近世哲学史稿』を思い出した)崩れ落ちそうで恐い。一冊ずつ貸してくれるそうなのだが、大丈夫なのだろうか。

最後に最近読んだ本の話でも書こうと思ったのだけれど、夜が明けてきたのでこのへんで。
これから実家に帰るための支度をします。それでは。

昼のハトは肩から飛ぶ

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4月ももうすぐ終わってしまう。今年は色んなことでバタバタしていて、ゆるり花見もすることができなかった。「いつの間にか」葉桜、ほど寂しいこともない。有意義な時間は特に求めていないが(だって、無意義な時間のほうが楽しい)、色々な物事のなかでゆらゆらと漂い、混ざり合った意味のようなものを感じることのできる時間は確保したいもの。大変なときほど、小さなものを見失わないようにしないと。自分がいっぱいいっぱいなときには大きなものばかり追い求めすぎる。大きいとか、小さいとか、本当なら、そんなものないのにね。大きいものに小さいものが、小さいものに大きいものが、こっそり包まれてたりすることはあるんだろうけれど。

そういえば、先日、面白い話があったのでご紹介。自席の2つ隣の席に座っている介護担当のTさんの話。なんでもね。男子トイレで用をなしているときに、突然、窓からハトが入ってきて肩にピタリととまったそうな。そして、しばらく休んだ後、颯爽と飛び立っていったそうなのである。「もうね、びっくりしちゃったよー!」とTさん。いやいや、なにその素敵イベント。最初はネタかと思ってたのだが、どうやら本当っぽい雰囲気。周りの職員が爆笑しているなかで、おれは真剣に悔しがってた。だって、トイレで鳩が肩にとまるなんて。そんなバカな!なぜTさんだけ!そんなことがあったら一年間は幸せに暮らしていける!って。

悔しくて、悔しくて、なぜTさんの肩だけに鳩が止まるのか(あわよくばおれも・・・)
ってことをずっと考えてたのだが。理由はいくつか考えられる。

①Tさんの肩幅は広い(かなり広い)
②Tさんは鳩胸である(かなりの鳩胸だ)
③Tさんは団長顔である(縦長の黒帽子を被ったら、もう色々とスゴイ)

その後、Tさんにサーカス団への転職を勧めてみたら、それ以降、顔を合わせるたびに、なぜか「フレンド」と呼ばれるようになった。

大震災~計画停電の夜~

僕が住んでる場所は計画停電対象地域の第3グループにあたる。これまで停電が実施されたのは3回(たぶん)。停電自体は良いのだけれど、あのグループ組み合わせの複雑さと実施開始の”時間差”はなんとかしてほしいと思う。一度、18時20分から22時くらいまでの停電グループに入っていたことがあり、予定通り実施されるとのことだったので、万全の状態で構えていた。けれど、18時30分になっても、18時40分になっても、予定の停電が始まらない。あぁ、これは今日も停電は回避されたんだな、と安心して、テレビや蛍光灯を再度点けたら18時50分くらいになって一気に「落ちた」。僕はノートPCをメインで使ってるから良いものの、デスクトップPCをメインで使ってる人がこの時間差攻撃を受けたら洒落にならない。あと、医療機器などを身体のなかにいれて使っている人は本当に危険なのではなかろうか。

実際、停電になってみて思ったことは、予想していたより遙かに「できることが少ない」ということだ。PCも携帯も回線が混んでるからなのかなんなのかネットに繋がらない。どうやらメールも使用不可のようだ。で、気分転換に闇風呂にでも入ってみようと考えたわけだが、まず水がでない。どうやらアパート等に設置されている貯水タンクの水を汲み上げるためのポンプは電気が流れることで動くように設計されており、停電時にはほとんど稼動しなくなるらしい。だから水も使えない。そして、うちのキッチンは年季の入った電気コンロがいつも”一人”で頑張ってくれてるものだから、この非常時には料理もできなくなる。よって、できることといえば、フル充電しておいたノートPCと懐中電灯の明かりで照らしながら本や漫画を読むことくらいか。ただ、これも時間制限付きだ。更に途中から目が痛くなってきたため、諦めて寝ることにした。眠ることができるってのは本当に嬉しいことだね。

大震災~当日のこと~

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最近、スーパーに納豆がなくて夕日に向かって叫びたくなるYouです。
こんばんは。

更新が滞ってしまいすみません。
ちと書きたいことが多すぎて、何を書こうかと色々と迷ってるうちに3週間ほど間が空いてしまいました。どうしようかと思いましたが、まずはストレートに地震が起こった当時の状況について書いてみようかと思います。

3月11日、地震が発生した時間、僕は保護申請者のアパートのなかで新規調査のための面談の最中だった(こう言っては悪いのだが、何もせずとも今にも崩壊しそうな木造アパート)。最初はカタカタという小さな揺れを感じる程度だったのだが、これがやけに長い。徐々に揺れが大きくなってきたために「これはまずい」と申請者と一緒に屋外へ脱出した。すると、道路の中央で母親と子供がしゃがみこんでいる。とても立っていられない。でも、そのとき本当に恐いと思ったのは、揺れそのものというよりは、どこからか腹の底に響いてくる「地鳴り」のような音だった。静岡で震度5の地震は経験したことがあるが、こんな地鳴りのような音を体感したのは生まれて初めてのことで震えがきた。

残りの面談を終えてから、徒歩で市役所に帰庁。帰り道は騒然としていた。まず、停電してしまっているようで、信号が全く点灯していない。当然、道路が車やバスでごった返している。そこを多くの救急車やパトカーがすり抜けるように通過していく。歩道で出会う人にそれほど悲観的な表情は見られなかったが、皆、一様に広い場所に固まって携帯電話をいじっているのが異様な光景に見えた。僕も何度か携帯電話で家族や友人に連絡してみようと思ったのだが、回線がパニック状態のようで全く使えない。今回痛感したのは大規模災害時には携帯電話は情報ツールとしてはほとんど役に立たないということだ。一方、頼りになるのはラジオである。この地震の震源地が宮城県内であるという情報も歩行者の腰にぶらさがっていたラジオから得たものだ。

さてさて、一応17時すぎくらいまで仕事を続けて、いざ帰ろうと思ったら、電車が全て止まっている。「現在、全線で安全確認のために運転を見合わせており、復旧の目処は立っておりません」とのアナウンス。早々に、今日は自宅に帰るのは無理だろうと見切りをつけ、ビジネスホテルやネットカフェを探してみたのだが、開店中のところは全て満室(満席)。1時間くらい探し回った結果、ただいま準備中(何時に開店になるかわからない)のネットカフェを1件見つけた。開店待ちの列に並んではみたものの、一向に開く様子がない。この日は寒くて寒くて、別の場所に移動しようかと思ったが、ここまできたら根性あるのみ。結局、2時間待ってようやく店のなかに入れた。つくづく思うのだけれど、ナイトパックってやつはいいものだよな。

ネットカフェに入って初めておぼろげながらも被害の全体状況が見えてきた。リアルタイムで更新されていく震災の情報を見ていて背筋が寒くなったことを覚えている。元々、眠るつもりはなかったが、やはり眠れるはずもない。時折、余震か何かで揺れると溢れ出しそうになる恐怖をとりあえず天井裏の方にでも押しやりながら、グッと耐えつつ情報を集める。家族と友人の何人かに無事を報告。このときとても頼りになったのはmixiだ。このパニック状況下にも関わらず、しっかりと利用できた。友人何人かの無事をここで確認できて安心した。コーヒーを飲みながらウトウトしつつも、早朝4時くらいまでネットカフェで過ごした後に小田急線と西武線を乗り継ぎ帰宅(このときJRは動いていなかった)。

地震で本棚がぶっ倒れているんじゃないかと懸念していたのだが、倒れるどころか、ほとんど動いてすらいなかった。自宅の被害状況といえば、「テーブル上に置きっぱなしにしてあった竹箸が床に落ちていたこと」くらいだろうか。

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