2012年07月

自分の引っ越し

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さて、採用決定の連絡もいただいたことだし、そろそろ引っ越しの準備をしようじゃないかと考えているのだけど、この準備が全く進まない。

原因は皆さんもご存じの通り、そう「本」である。

そもそも、今借りているのはレオパレス物件なので家具家電を移動させる必要はない。だから、僕のような単身男性の場合、本来は引っ越しの荷物云々で慌てることはそうないはずなのだ。

けれど、上の画像を見る限り、現実はそう甘くはないということがわかるだろう。

今年に入った頃までは「まぁなんとかなるさ。あははー」程度に考えていたのだが、そろそろ真面目に考えないと危険なことに気づき始めた。ちなみに上の画像に写ってるのは主に研究書と論文で、その他の小説や漫画の類はロフト上のダンボールのなかに詰め込まれている。

はたして引っ越しができるのだろうか(遠い目)。

こうした状況を想定して、今年に入ってから少しずつ実家に本を送っていたのだが、なぜか減ったようには見えない。最近では実家の母や祖母から「もう送らないで」と切実な言葉が投げかけられるし、親父からは「もう売りに出すぞ」と脅しの言葉をぶつけられているくらいなので、やはり代替案を考えなければいけない。

研究書はともかくとして小説は売るなり譲るなりするしか手はないような気はする。
さて、どうしたものかと。来月半ばくらいまでには少しずつどうにかせにゃいかんな。

もし小説等欲しい人があれば相談の上で譲りますのでご連絡ください。

軽井沢散策

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のんびりと軽井沢散策。ログハウスに泊まって2泊3日。夜は屋根に落ちる雨音の違いに「あれ?こんな音だっけ?」。ただ弾く、のではなく、吸い込まれていく、かんじの音。普段、あまり疑問に思わなかったことに、ごく自然に意識を向けられるようになることが良いです。ぶらぶらと歩いているだけでも、あまり見たことのないような植物や動物がたくさん。アウトレット周辺よりも旧軽井沢の小道をぐんぐん進んで、一体この先に何があるのかと想像しながら歩いていくのが楽しい。空気も綺麗で身体のなかが透明なもので満たされるようでした。それにしても同じくらいの気温でも東京とはこれほどまでに気候が違うのかと。30度前後の気温のなか、長時間歩いていても、汗が吹き出したり、体がベトベトしたりっていうことがまずない。暑いなかでも凄くサッパリしていました。非常に帰りたくなかったけど、仕事があるのでしようがない。泣く泣く帰途につきました。楽しかったなぁ。

Happy Birthday


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今日は誕生日でした。また一つ歳をとることができました。

海老のように、ぴょりんと跳ねて、大好きな皆に感謝します。
良い味だせる大人になっていけますように。

クラウドくん


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姪の友達に「クラウド」と「ジョイ」って子がいるらしいんだ。

「それってあだ名だよな?」(おれ)

「え、本名だよ。もちろん」(妹)

あぁ、何となくそんな気はしてたのだけれど、やはりか。
世代的にどっから引っ張ってきた名前なのか丸わかり
すぎるのが困る。奇抜を通り過ぎて平凡じゃないか。
さぞかしツンツンヘアーなのだろう。そのクラウドくんは。

それにしても子供たちのパワーってのは凄いね。
自分の持ってないものがたくさん詰め込まれてる。
ダンスも、笑顔も、泣き声も。何もかも。

南木佳士『ダイヤモンドダスト』

ダイヤモンドダスト (文春文庫)
ダイヤモンドダスト (文春文庫)
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芥川賞受賞作「ダイヤモンドダスト」を含む、短編4作。本作における各主人公は医師や看護師といった医療従事者である。その物語の舞台は決して派手なものではない。信州の小さな町の病院で内科医として10年以上働き続けてきた作者の経験を反映しているのか、その舞台もどこか小さな田舎町である。ひっそりと、穏やかに。だが、そこで描かれる自然や人間模様の静謐さは決して停滞を意味しない。深く、力強く、蠢いている。本作における一貫したテーマは「死」であるように思う。それも最近よく見られるようになったエンタテインメント化された死ではなく、ときには腐臭にも満ちた肉体に根付くような死、土地や自然と混ざり合っているような死。生と死が表裏一体であること。そして、それが結果として事後的にもたらされるものではなく、その過程の緩慢な蠢きのなかにしかないという事実を本作は呼び覚ましてくれる。印象的だったのは「ワカサギを釣る」の章のなかで見られる一節だ。凍結した湖面にツルハシで穴を開けるときに響く、くーん、という音。実際に聴いたわけではなく、文字を目で追っただけなのに、なぜか残響が耳から離れない。ともすれば無機的だと表現されてしまいそうなその音に、なぜか自分は生命を帯びた肉体の兆しのようなものを感じた。また、物語内容とはまた別に、あとがきにとても共感できる一節があったので以下に抜粋しておくことにする。

「地に足をつけて発言したい。そんな想いが、こんなライフスタイルを選択させた。外面はすでにもどりようのないところまで、地方の生活者として完成させることができたが、内面となると、いまだにつま先を立てたがる自分がある。小説を書き終えるたびに、そんな自分が顔を出していないかと、心して検証してみる。結局、書く、という行為は、内面の浮き揚がろうとする足を大地につけさせるための作業だったのかもしれない」(あとがき p.213)

この一文、特に「書くという行為」に対する作者のモチベーションは自分が抱くものとどこか共通点があるように感じる。僕も未熟な自分なりに「地に足つけるために」「泥臭さを感じるために」文章を書いている節があるからだ。けれど、やはりそれは難しく、どこかいつも何もない中空を漂ってしまい、土や草の匂いを感じながら文章を書くことができることは稀である。色々な点で感じ入ることが多い小説であった。
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