2017年02月

親父はまだ泳ぐのか

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先日のこと、地元で親父の還暦祝いをした。やや偏食気味で、普段は肉と、炭水化物(ご飯、パン、芋)と、ちょっとの野菜しか食べているイメージしかない親父だが、この日は珍しく「魚が食べたい」とか言いだす。「この店は違うんだよ、とにかく違うんだ」とのこと。そこまで言うのであれば。そして、この日のメインは親父だし。と、身内皆で行ってみた店の料理は確かにビックリのお味(値段も多少ビックリ)。久々の魚尽くしで、これも珍しく思い出話などを楽しんだのだった。まあ、少しうちの親父のことを紹介するのであれば、20代のときとか、30代のときとか、昔のことはよくわからないが、とにかく飄々としていて、毎日淡々と出勤していくし、休みの日とあらばテレビを観ながら一日ゴロゴロ寝ているような人である。また、本は一切読まないくせに、頭の回転は結構速い。おれが学生時代のときには、他の家庭ではありがちな「もっと勉強しろ!」「テレビゲームばかりやるな!」的な教育的な言説は一切聞かれず、まあ、好きにやったらいいんじゃねーか?でも、諸々、自分で何とかしろよ的なスタンス(このへんは両親共に、であるが)。センター試験前日に一緒に超大盛りのカレー屋に行って食いまくり、2人とも見事に腹を下すという失態をおかしたこともある。つまり、信頼を置かれているからか何なんなのか、そこいらこっ恥ずかしくて真面目に聞く気にはならないが、少なくとも傍目から見れば、良く言っても、悪く言っても、放任主義というやつなのであった。その親父も、もはや60歳である。とはいえ、素直に仕事をリタイアする気など(また、母も辞めさせる気など)毛頭ないらしく、すでに4月からの再就職先を見つけたらしい。保険関連の資料を読み込みながら、結構楽しそうな表情で黙々と勉強している親父の大きな腹を見て、おれも頑張らないとなと思うのであった。

ウィリアム・アイリッシュ『暁の死線』

暁の死線【新版】 (創元推理文庫)
ウィリアム・アイリッシュ
東京創元社
2016-03-12

『幻の女』があまりにも面白すぎて、同作家の別の作品を読んでみたくなり、手にとった一冊。(アイリッシュお得意の)いわゆるタイムリミット・ミステリーというやつである。ダンサーのブリッキー、電気工のクィン、偶然出会った同郷の2人は”とある事件”に巻き込まれ、容疑者として濃厚な立場になってしまう。彼ら自身の潔白を証明するために真の犯人捜しを開始する。と、ここまでは、ミステリーものに比較的ありがちな展開ではあるのだが、そこはさすがのアイリッシュ作品。タイムリミットは『幻の女』よりも更に短い、たったの3時間後。ほぼ手がかりがない、容疑者がこの場に集まっているわけでもない、そんな状況から3時間で真犯人を見つけるなど、運良くホームズやワトソンがいたとしても無茶な話で、しかも現実的にはダンサーと電気工しかいないわけである。2人の犯人捜しの決意を目の当たりにして、読者は思うはず。「こりゃ、ちょっと、いや、かなり無理があるだろう」、と。この相当無茶苦茶になると予測されるストーリーを、綿密な構成と繊細な心理描写をもって、アクションあり、ハードボイルドあり、多ジャンルの要素を織り交ぜつつも、それなりに説得力のあるスピード感あふれる作品に編み上げてしまっているのが本作品の凄いところである。また、ミステリーである一方、ボーイ・ミーツ・ガール作品であるということも、ひとつの見所であり、特にブリッキーとクィンの情感溢れる会話には引き込まれるものがあった。原作は1944年に出版されているようなのだが、出会ったばかりの2人が事件を推理し、もがきながらも解決に早足で進んでいく様を描く手法はなかなか斬新であった。

Wゼミでコーヒーを一杯

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先週の土曜日、大学院時代にお世話になったW先生の退職パーティに出席しました。

正直な話、Wゼミが終わってしまう実感なんてまるでなく、たとえ研究室の中身が空っぽになったとしても、2、3人の誰かが勝手に集まり、勝手にカルスタの議論でも始めるのでしょう、とか、そんな気持ちでいたのです。けれど、先日、久々に研究室のなかに一歩入ってみたときの違和感。本が少ない。部屋が妙に広い。コーヒーカップが少ない(いつもの場所にコーヒーメーカーもない)。タバコが大して匂わない。などなど。最後の学生の博士論文の発表が行われてるなか、ああ、本当に終わってしまうんだなあ、と、院生時代のことを思い出しつつ、少しだけしんみりしてたのは、ここだけの話。

ちょっと変わったメンバーが集まる、おかしなゼミでした。少なくとも、おれがゼミに入ったときからの在籍メンバーは、研究者というよりも、どことなく別方向に職業人的あるいは遊び人的な雰囲気を有してる人が多く、議論の合間の休憩時間ともなれば「ちょっと軽く踊ってくるから」とか「一曲歌ってくるから」とか言って離散してしまってもおかしくないような危うい雰囲気(そう、あくまでも雰囲気)を備えていて、その一時的な集まりの触媒的な役割をしているのがW先生というような印象でした。(とはいえ、W先生ご自身がまさに上記のような雰囲気を一番発していたような気もするわけですけれど)。

その一方、もちろん不真面目というわけではなく、勉強はやるのです。いわゆる「お勉強」というやつではなく、勉強です。一時期は、ゼミの時間だけでは飽き足らず、中野や吉祥寺の喫茶店で待ち合わせては、様々なテーマで夜遅くまで議論をしていました。今だからぶっちゃけますが、その頃はお金が全くなく、中野までの電車代+コーヒー代(これが結構良い値段するのです)を支払う度に、ちくしょー!とか思ってた記憶があります。でも、あの勉強会には、それだけの大きな意味がありました。とっても面白かったですし。

そんなこんなのWゼミが終わります。まだ信じられませんが、おそらく終わるのでしょう。
W先生、本当におつかれさまでした。おれはタバコも吸わないし、Macも使いませんが、ゼミの間に何度も何度も飲んでいたためか、不思議とブラックコーヒーだけは凄く好きになりました。あの頃のことを思い出しつつ、今日もコーヒーを一杯。
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