2019年も残り4時間ほどとなりました。
年の瀬です。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
おれは人生初となる病院での年末を迎えています。
つい先程、病院食で「年越しそば」なるものを食べたのですが、例によってあまりにも薄味だったため、せめてものこととして七味唐辛子増々にして食べてみたら別の意味で味がよくわからなくなりました。年末ですし、これくらいのことは栄養士さんも許してくれるでしょう。そんな瀬です。

ブログを定期的に読んでくださっている皆様方なら、きっとわかってくれると思いますが、今年は言葉で表現することも難しいくらい凄まじい1年間でした・・・。
昨年末の振り返りの際、「変な病気にかからなくてよかった」的なことを書いたのですが、まさかその3ヶ月後くらいに、変ではないが、大病に引っ掛かるとは誰が予想できようか。主治医から病名を初めて宣告されたときには「何を言ってるだろう、この人は。。。」と全く現実感がなかったことを憶えています。それも、もう9ヶ月ほど前のこと。

今月、多発性骨髄腫を公表した某芸人さんが「自分が病気と闘っているのではなく、周りにいる人たち、親しい人が闘っている。自分はそれを受け入れる」というようなことを言っていて、感銘を受けました。と、同時に(それはたぶん某芸人さんの考えや感じ方とは色んな意味で異なっていると思うけれど)ピントが合うような感じもしました。
「闘う」ということは、ある程度、俯瞰的な視点が必要というのが自分の考えです。自分は苦しい治療に耐えることはします。それだけはしますが、結局のところ近視眼的で、また、ふわふわとした非現実感も拭えない。現状を直視して向き合えているか、ということもわかりづらい。それだけに家族や身近な友人や知人の目や感情がそばにあってくれるというのは、それだけで支えてもらっていることを実感し、感謝しています。

この病気の治療は時には苦しさや辛さを伴いますし、家族や友人、また職場の皆など、多くの人たちに心配をかけましたし、もう二度と同じような経験はしたくないというのが率直な気持ちです。
大前提として、そんな気持ちがあるのは事実なのですが、単にマイナスとは言えないような貴重な経験をしているのかも、という予感も少しだけはあったりします。病気にならなければ得られなかったものも山のようにありますしね。
「ふざけんじゃねぇ!どこかにいっちまえ!」という感情は、常に腹の底に沸々とわいておりますが、まあ、人間、いつ何が起こるかわからないってことでしょう、とも思うわけで。

長くなりました。
そんなわけで今年は例年のようなすき焼きも蕎麦の写真もありません。年明けしてからの一時外泊のときにでもたらふく食べて来ようかと計画中です。
今年は一年中荒波に乗ってるような一年間で、ざっと三年分くらいは歳をとったような感覚がありますが、来年は本当に、ホントーに!!穏やかな一年間になることを祈ってます。

じゃ、そろそろ年末のテレビ番組でも観つつ、看護師さんたちと一緒に年越しします。
皆さんも良いお年をお過ごしください。来年もよろしくお願い致します。


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