学生の頃に読んだ、菅野仁『友だち幻想』という本が売れている。もはや10年くらい前に発刊された本なので、なぜ今になって・・・と、本屋で山積みになっていた同書の帯をよく見てみると、「又吉オススメ」とある。なるほど、メディアで取り上げられたのか、何なのか。この本のなかで「ルール関係」と「フィーリング共有関係」(だったか?)という考え方がある。簡単に言ってしまうと、ある組織内で人間関係を築いていくためには、システムや役割分担として人と付き合う「ルール関係」と、気が合う、気持ちが通じ合う、というように感情面や情緒面のつながりから人と付き合う「フィーリング共有関係」があり、両者を混同することなく、それぞれを別ものと認識し、上手く使い分けることが良いのだという話だったか。つまり、「みんな仲良く!」とか「わかり合ってるよね、わたしたち!」なんていう、そんな言説で一括りにしたような友だち関係は一種の幻想であると。当時は「まあ、そうだよなー」なんて、若干他人事のように思いながら読んだ記憶はある。けれど、このSNSでつながりたくてしょうがない社会にあって、上記のような関係性の気づき方、いくつかの方法のごちゃまぜ感はひどいものがある。否定はもちろんのこと、率直な意見交換のための批判的な関係も許さず、奇妙なまでに肯定し合い、認め合う。まるでルール関係の基盤に、“みんな仲良く”思想が前提的に広がっているような錯覚。お互いに上手くやっていけるのであれば、それはそれで良いのだけれど、互いに何も納得していないのに、なんとなく、どうしようもなく、関係性を続けているのであれば、それは気持ちの悪い停滞でしかなく。そういう意味では、この本が売れる(求められる)理由が何となくわかる気はする。一方、自分としては、そもそも、この「フィーリング」であるとか「価値観」というものを、友達や恋人と付き合ったり、離れたりする第一義的な要因として挙げることもよくわからない。何となく気が合う、何となく価値観が似ているように思う、とかならわかるのだけれど、「フィーリングが合うから一緒にいるんです」「価値観が合わないとわかったから、別れます」とか、そこまではっきり言えるのはどうしてなんだろうかと、たびたび思う。こんなにあやふやで、かたちが止まっていおらず、根拠にしにくいものもそうないはずなのに。2年ほど付き合ってみたけれど、耳のかたちがどうにも気に入らなくて、受け入れられないので、別れます。とかの方が、理由としてはわかりやすい。というか、突き詰めてみれば本当はそんなものだったりするのかも。本音を出したら揉めるとは思うけれど。