漫画のこと

町田洋『夜とコンクリート』

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夢の中に突如として現れた場違いな存在。それは親しい人間や動物であったり、身近な植物だったりするわけだが、「あなた、このとき、この場面で出てくるものじゃないでしょ」と、目が醒めてから思わせられるようなシチュエーションが度々ある。夢の中だからこそあって当たり前の”ズレ”のようなものは、気持ち悪さを感じさせるとともに、どこか愛おしい。そんな現実と非現実のあわいに生まれつつある、ちょっとしたズレを、その息づきを、無機質な暗闇の中で優しく抱きかかえたような漫画が本作『夜とコンクリート』である。本作の中で描かれる、幻のような夜の時間、夢の時間は、それ自体として切り取ることができるものではなく、むしろ日常の中に散りばめられた幻想的な要素との関係性を通じて構成されている。たとえば、夜の建物から聞こえてくる声、そして、その眠り。聞こえたような気がしたことはないだろうか。一緒に眠った気持ちになったことはないだろうか。心細さのそばにある、さまざまなものを媒介にした、どこか暖かな静けさ、安らかさ。そこに触れたと思えるとき。誰もが持っていて、けれど、忘れかけているような、そうした断片をこの漫画は思い出させてくれる。夜中に特に意味もなく道路沿いを散歩するのが好きな人、あるいはコンビニエンスストアの前でボーッとしながら深呼吸することが好きな人などには特にお勧め。

市川春子『25時のバカンス』

25時のバカンス 市川春子作品集(2) (アフタヌーンKC)
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正直さっぱり意味がわからなかった。何かが凄いのはわかる。印象的なシーンもたくさんあるのだけれど、この場面にどんな意味があるのだろうとか考えて手を伸ばそうとすると、スルリと指先から抜け落ちてゆくような印象。こんな漫画は初めてだ。おそらく無理やり理解しようと思って読んでもダメなのだろうね。読み終わって、散歩をしながら、空とか、鳥とか、木とか、木漏れ日とか、あるいは人間であるとか、そういったものを見たり聞いたりしているうちに、いつの間にか、ああ、そういえばあのシーンにはああいう意味があったのかもしれないなどと少しずつ思い出していき、半年くらいかけてパズルのピースのうち3分の1くらいを無意識のうちに埋めているような漫画のように思う(それでもきっと皆のパズルにはならず、自分だけのパズルなのだろうけれど)。絵もだけれど会話が特徴的な作品だと思った。一見すると無意味なように見えて、二度三度読むと冗長的な会話が一切ないことに驚かされる。個人的には漫画は「間」の作り方がとても大事だと思っていて、多少回り道をしても水のなかでゆらゆらと揺られる感覚に浸れるような作品に惹かれる。一方、この作品のなかで描かれる「間」はまるで数式のような会話とコラボレーションをしながらもさながら閃光のようであり、(今のところ)こちら側の思考やリズムを差し挟む余地がない。そういった意味ではとても苦手。それでいて1ヶ月に1度くらいは開いてみて、なかにいる人物や物や光景はどのような変身を遂げているのだろう、などと確認してみたくなるほどに、どうしようもなく気になる存在ではある。
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