レポートなど

社内ブログの有効性について(メモ)

昨日のゼミでの話題のなかでちょっとだけ登場したので。
ご参考までに。

● 現在、インターネットなどの技術革新によって普及してきたブログ(※)を社内コミュニケーションの一端として活用していこうという動きが各企業において見られる。
※ ブログ・・・本来の名称はウェブログ。個人や数人のグループによって運営され、日々、定期的に更新されていく日記的なwebサイトの総称。内容としては時事ニュースや専門的なトピックスに対して自分の意見を表明したり、他者からのコメントなどを通じて議論を行う形式が多く、従来的な単なる日記サイトとは区別されることが多い。

■社内ブログの主要な利用方法

(1)既存の情報共有ツールの補完。
⇒定型化されやすく時間的に制約されやすい情報ツールと使い分けしながらも相互補完的役割を果たす。(Push型情報共有⇔Pull型情報共有)

(2)個人の枠内に留まりがちな情報の積極的発信
⇒個人がweb上の情報発信のための“パーソナルスペース”を獲得することに関連
つまりグループウェアや掲示板などの“公共の場”で発言するというよりもオープンかつリラックスした心理状態でコミュニケーションを行うことが可能になる。

(3)ナレッジの発信、共有、蓄積
⇒些細な情報も埋もれさせない。ニュース、アイデア、日報、自己PR・成功体験、失敗体験、プロジェクトの進捗、会議の議事録、悩み、雑感・日常的な出来事、ファイル・・・などなどをカテゴリー化、インデックス化して提示することが可能。


■社内ブログの利点

(1) 社員間(上司と部下を含む)、部署間におけるアイデア交換などを通じた積極的コミュニケーションを時間などに囚われることなく比較的簡易に行うことができる。
(⇒トップダウン型、ボトムアップ型、業務組み込み型、プロジェクト型)
(2) 低コストで導入可能な情報共有システム。規模にもよるが、必要最低限の機能のみで小規模に立ち上げた場合、数十万程度の予算で済んだという事例も見られる。
(3) あるメモ書き程度に掲載されたもの(非定型な情報)が、多数のコメント、数日間にわたる差延的かつ双方向的議論の結果、極めて発展的なアイデアへと繋がることもある。
(4) 上記のような非定型な情報が重視されることによって、ハインリッヒの法則「1件の失敗が起こる背景には、小さな未遂が29件あり、潜在的な問題が300件ある」のうちの潜在的な問題をプロセスを辿って追究することが可能になる。(⇒特定の情報のコンテクストとなるプロセスの可視化)

■問題点

(1) 利用目的(社内ブログを利用する意図や内容)あるいは導入範囲(何人くらいのユーザーを戦略的射程に置いているか)を明確にしないまま、導入してしまった場合、社員にその“必要性”や理解が浸透しない場合がある。結果としてコミュニケーションそのものが活性化しない。つまりユーザーを説得させる前提項が必要となる。(⇒コンセプトの明確化)
(2) 大量の情報がさばけない、頻繁に更新していくにあたっての時間的余裕がない、ツールが使いづらい・・・などの諸問題。
(⇒最低限のルール、マナー、使い方を盛り込んだガイドラインの必要性。ブログを書く=業務という認識を浸透させる)
(3) 直接的コミュニケーションの減少や軽視。いかにしてブログでのコミュニケーションはフェイス・トゥ・フェイス・コミュニケーションと相補的な形に位置づけるかが重要になってくる。

■社会ブログツールの種類

・ASP版
ドリコムのサーバとレンタルソフトウェアで行う小規模向けサービス。
ネット環境さえあればサーバの準備やインストール作業を行わなくても利用可能。
初期費用も数万円と低価格。通信環境はSSLに対応、IP制限もかけられる。
⇒少人数、システム管理者がいない場合などに利用するのが便利

・アプライアンスモデル
アプリケーション、OS、ハードウェなどがオールインワンパッケージされている中~大規模向けサービス。企業でサーバ管理することになるものの、導入、運用、管理やソフトウェアのアップデートなどを比較的簡易に行うことができるために、時間的、費用的負担が少ない。
⇒中規模以上(50人以上)での利用を考えている場合。

・パッケージ版
中~大規模向けのサーバインストール型サービス。自社内のサーバ内での運用となるため、ルールやセキュリティポリシーなどは社内規定に拠る。セキュリティ規定などによりASPを社内で利用することが困難な場合や機能のカスタマイズを行う場合などに適している。
⇒中規模から大規模(100人以上)での利用を考えている場合。

ほか、with ConceptBaseやエンタープライズ版など。

■使用に関する具体例

(1)株式会社野村総合研究所(NRI)
2005年6月より内定者限定の社内ブログを導入。
過去のユーザー数は2005年が220名、2006年が300名、管理者数は5名。
利点・・・内定者同士、および内定者と既存社員との早期の社内コミュニケーションを通じて早期からの企業理念や情報共有を行うことができる。
問題点・・・入社を決めかねている内定者のコメントなどマイナス要素を伴う可能性がある。あるいは情報流出への懸念。諸々のリスクへの対処が必要。

(2)富士火災海上保険株式会社
各営業拠点に1~2名在籍している代理店指導・育成を目的とした営業担当の女性社員(エージェントインストラクター 以下AI)に限定した社内ブログを導入。2007年現在、使用規模は書き手が16~17名程度、閲覧対象は200名(AIのほぼ全員)。ブログの更新時間(9:00~17:00)を設定して社内ブログ=業務という構図を強く意識づけしている。
利点・・・営業拠点が離れた女性社員による積極的なコミュニケーションや情報共有を通じての業務レベルの向上。質の高い情報の共有とそのプロセス(成功談、失敗談を含む)の可視化。
問題点・・・定着化はなされてきたが機能の利用が限定されている。トラックバックを含む多様な機能をどのように使用していくかなどの具体的展望が必要。

・ユニクロの社内ブログ戦略
ブログツールである「Movable Type」をベースにした社内情報ウェブの構築によって各店頭で見られるお客さんの反応をブログを通じて即座に収集・整理できるような環境を整える。
⇒これまでユニクロはカジュアル衣料品に特化した製造小売の強みを生かすためにユニセックスの商品を中心に展開していた。しかし、本部が「スカートの販売についてどう思うか」というエントリーを書き込んだところ、これを読んだ各店舗のスタッフが次々に前向きなコメントを残していった。こうした意見をふまえ、ユニクロは2006年6月から全店でスカートの販売をはじめた。


参考文献は主として『社内ブログ革命』と『社内ブログ導入・運用ガイド』の二冊です。僕もドリコムさんにはいつもお世話になっています。

ルース・ベネディクト『菊と刀』に関するメモ③

○自己訓練について

・アメリカでは自己訓練が技術を得るため、あるいは目標を達するための手段として付随的な形で扱われがちだが、日本ではそれ自体が人生のあらゆる局面において非常に重要な役割を果たす概念として認識されている。
⇒肉体を支配する精神(日本精神)の研磨。

・自己訓練を常に課することは外部的権力、社会からの強いられるものに基づく「抑圧」を反映してはいないか。その状態で他者に奉仕するのは自己犠牲ではないのか。
⇒日本人は前述のような解釈はしない。その強制力の根底にあるものは、各人の相互義務として認識されるために、自己犠牲というよりも、むしろその行いを通じて精神力の向上に繋がる、自己訓練が充実した人生をおくるための精神的訓練になるというように肯定的な解釈をしている。

・日本語のなかには自己訓練の達人が到達する境地、たとえば「無我」のような心境を表す言葉がとても多い。
⇒意志と行動の一致、自分が思い描いていたことと全く同様な形で実現することが可能となる「一点的(one pointed)」な行為。

・日本における自己催眠、精神集中、五官制御の方法などはインドの方法と類似点が見られるが、一方で全く異なる日本人独自の思想を作り出している。
⇒日本では動物や虫を人間の魂の生まれ変わりだと考えることはなく、輪廻転生、涅槃という仏教における根本的な思想を持たない。肉体と精神が相容れないという教義を持たないなど。


○子供の教育について

・日本では幼児期と老年期に最大の自由が与えられるが、青年期、壮年期などの中間段階においては束縛(あるいは日本人にとっての精神的修養)が課せられることが多い。この特徴はアメリカとほぼ逆の傾向を辿っているといえる。

・日本人、特に男性が子供を必要とする心理的背景には、情緒的に満足を得るというだけではなく、これ以後に渡っても家や血統を守るという意思がみられる。
⇒女性は母親になることによって初めて自らの「地位」を獲得できるとされている。

・子供が母親と一緒に寝るのは子供自身が「母親と一緒に眠りたい」という意志を示す(両手を差し出す動作など)ようになってからなど、幼い子供に対しても自発的意思を促してやるような特徴がみられる。(精神的修練、能動的姿勢の形成)
⇒おんぶされるときにも、ただ「おんぶされる」のではなく、自分から母親の背中などに「すがりつく」という姿勢を持つように訓練される。

・言語習得が一定の段階に進むと、母親は子供に対するメッセージのなかに「からかい」を織り交ぜることで我侭な行動を抑える、または自分からそうした意思を持つように教育しようと試みる。(「ほかの子を見てごらんなさい、あなたのように泣いてなんかいませんよ」など)
⇒子供が競争心を持つ、あるいは母親の愛情を十分獲得できていないことを自覚し、心理的葛藤を引き起こす場合がある。その際、抑えられていた感情を攻撃的行為に転化する場合がある。

・子供は学校に行く前から、周辺地域で親しい遊び仲間(特に同年代、同性を重視したグループ)を作る。また、そのグループ内においては親と接する際には決して取らない言動行為を行うなど、外部社会の模倣が反映されながらも、彼らだけの独自の社会、コミュニケーション体系を作り出そうとする傾向にある。

・上記のようなグループ、また学校に入る頃になると、子供は両親や先生などから他の人から世間に対する「義理」に従って行動しなければならないという道徳的教訓を得ることになる。子供はこの頃から「外部世間」の見解を強く意識しはじめる。
⇒女性は一定の年齢に達すると徹底的に「自重」の精神をたたきこまれるが、男性の場合は、加えて自らに与えられた侮辱と、それに対して復讐することは徳であるということについて学んでいく。(「名に対する義理」を学ぶ)


○戦後の日本について

・日本はアメリカの管理方式(マッカーサー主導による)に対して、反感、あるいは不服従の姿勢を貫くと予想されたが、結果としては全く逆であり、日本人は提示された新しい政策をしっかりと受け入れた。アメリカ軍の進駐に反対するどころか、むしろ歓迎した。
⇒日本人にとって特徴的な文化、性格が反映されていると指摘されている。

・国家再建に際して他国にはなかった日本に有利な点とは、ある行動の結果が失敗に終わった場合には、その事実を真摯に受けとめて、場合によってはこれまでの主張・方針を棄て去って大きな方向転換を可能とする特徴的な倫理観にある。
⇒自己の行為の責任はどんな形であっても、自らが負わなければならないという思考。

・日本はかつてロシアとの戦争に勝利した後には、場合によっては十分な食料の供給をするなどして、彼らに辱めを与えないように留意した。


○川島武宜の論点

・ベネディクトが日本人に関する個別的事象に対して着目し量的に測定するという手法ではなく、その文化、思想、行動の構造的分析、つまり文化人類学的方法が用いられているという点に言及している。

~ベネディクトの方法論に関する主要な問題点~
1.日本の歴史的側面への分析と関連づけが不十分である。
⇒たとえば、川島はベネディクトが指摘している日本人独特の道徳精神が統一的なものではないということを主張している。この観点にアプローチしていくためには、過去の封建制度が、それ以前の日本人の道徳観をいかに変容、あるいは分散させたかという考察が必要になる。その際、特に封建制度を歴史的に分析するという方法が必要不可欠になる。

2.日本人の行動、文化の型などをほぼ同質的に扱い、その背後にある階層、地域、職業などとの具体的関連性の多くを見逃している。
⇒川島はベネディクトが述べている家族制度における階層性はすべての日本人に当てはまるものではないと主張する。当時、地方の小作人や、都市にあっても小市民階級などは権威主義的ではない家族制度が保たれていたようである。こうした家族形態は、相当数にのぼり、決して例外的なものではないと指摘されている。

ルース・ベネディクト『菊と刀』に関するメモ②

○義理の返済について

・日本語的な解釈として、「義理」は必ずしも当人の積極的な意志を伴うものとは限らず、実際には不本意、あるいは不愉快でありながらも負わなければならないものという観点において「義務」の意味合いとは異なる。(たとえば日本では遠い親類関係、契約上の家族に対して援助などが義理としてみなされる。)
・「義理ほどつらいものはない」という言葉に代表されるように、日本人はこれを真意としては不本意であったとしても返済しなければならないものとして受け入れる傾向にある。
・元来義理の精神は、目上の者に対する義務(「忠」)にも勝るほど強固なものであった。主君に対して「義理を返す」ということは、すなわち自らの生命をも賭けるということを意味する場合もあった。(⇒源義経と弁慶の主従関係の例、p171~172参照)
・現代ではもっと広い意味で、意志に背いた形で義理に基づく行為を行うことを強制される基盤が形成されている。人々は自らの内面的な精神に問うというよりも、むしろ自分が世間や身近な親類から義理を知らないものであると認知され、排外されることを恐れる。
⇒ベネディクトは義理の返済を西欧の借金返済と対比させながら考察している。日本人にとって義理の価値は固定的なものではなく、時間がたつにつれて累積されていく「負債」を抱えるという観点に特徴があると示唆している。


○汚名を取り除くこと

・日本人の名に対する義理、つまり上記の「恩」に基づく主従関係によってみられるような義理の範疇には含まれない義理は、自らが受けた汚名を除去し、再び名誉を取り戻すという意味を持つ。(→「汚名返上」、「名誉挽回」という言葉)
・教師が生徒に対して、実は知らないことを「知っている」という立場を維持し、名を汚されないように自己防御的な態度を取る。(→現在でも「知ったかぶり」という言葉と共によくみられる傾向であるといえるだろう)
⇒同じアジアでも中国などでは、自分に対して向けられた侮辱や誹謗をあまりにも神経過敏に受け取るということは「小人」という道徳的に問題があるものとして考えられている。
・どんなに肉体的苦痛を受けても、危機的状況に陥っていても超然とした態度を保ち続ける必要があるという自制的精神(ノブレス・オブリージュ的)が身分階級に限らず根づいていた。とりわけ武士階級はその傾向が強かった。
・日本人は過度の競争意識が伴うと作業効率が著しく低下する。これを出来る限り避けるという組織的な方向性。
⇒野球で負けたチームがみんなで声をあげて泣くという例の指摘。
→これは極端な例だと思われる。経験上、実際には「負けたときにグラウンド上では絶対に泣くな」、と言われることの方が多い。


○日本人の快楽受容に対する考え方

・日本人は快楽を尊重するべきものとしてみなしている傾向がある。
⇒本来の仏教的倫理観と相違する。ただし、この快楽追求は人生の重大な局面に持ち込まれるべきものではなく、それと明確に区分された形で行われる必要がある。

・日常的生活のなかで求められる主要な快楽として性的快楽など以外にも、日本人に特徴的なものとしては温浴、睡眠などが挙げられる。
⇒温浴には身体を清潔に保つこと、温かさのなかでくつろぐことのほかに、他の国には見られないような芸術的価値観を置いている。また、恥や外聞を捨てた人間交流の場を作り出す。
⇒一方、睡眠は仕事でたまった疲労を回復するための休息というような実践的意味合いは薄く、むしろその行為そのものを好む傾向にあると指摘されている。したがって、どの程度の時間寝ることが明日のために効果的であるかというような計算をすることなどはあまりなく、むしろ行動自体は独特の精神論によって支えられている。快楽と、それを一時的に退けることで行われる精神的な訓練は様々な形で対比させられる傾向にある。(眠らずに行動を続けるという意志、食を絶つことを耐えることで精神力の向上を図るなど)

・ロマンチックな恋愛観が様々な小説に反映されている。結婚と恋愛の同一視(恋愛の延長線上に結婚がある等)という考えを避ける傾向。
⇒『源氏物語』などに代表される。ベネディクトは日本の恋愛小説における主要人物には既婚者が多いと指摘しているが、現代の小説にもそのような傾向はあるだろうか。
→作家自身の年齢や経験などにもよるだろうが、確かに大衆受けする恋愛小説では主人公が既婚者であるか、あるいは一度は結婚して別れているという設定である場合も多い。(ex. 村上春樹『ノルウェイの森』、市川拓司『いま、会いにゆきます』など)が、人気のジャンルである推理小説などでは逆に未婚者、独身であるパターンが極めて多い。
ハッピーエンドで終わるものが少ないという指摘も頷ける。また、誰かの「死」を物語の中核にすえている、あるいは最近の傾向として普通には起こりえないような奇跡的な出来事(ファンタジー的要素)を意図的に組み入れているものが多いように思える。

・日本人は善と悪とを明確に区別することを否定する。悪と戦い、一方的に打倒することが徳であるという道徳観は持たない。
⇒「柔和な魂(和魂)」と「荒々しい魂(荒魂)」の例が述べられている。この両者は互いに見方によっては肯定的にも、否定的にも捉えることが可能。


○徳のジレンマ

・西欧人が行いの不正に対して着目し、それを非難する代わりに、日本人は為すべきこと(与えられた義務)果たさなかった場合、あるいは掟に違反した場合の行動を明示する。
⇒行動の規範がその人間自身の性格や人柄に相応しているかというよりも、孝や義理を十分に知っているかという観点に置かれる。

・日本人は「善」や「悪」などという概念のどちらか一方のみ対して正面から見据えようとはしない。その特徴的な価値観、人生観のなかには常に矛盾が存在している。注意深く比較、考察する視点。(⇒自重の精神を反映)
⇒日本の小説のなかには、たとえば主人公が善や悪、義理と忠との間に立たされて板ばさみになり心の中で葛藤を繰り返すという場面が数多く見られると述べられている。
「彼は死によって忠と義理とをふたつながら全うした。死において両者は一致した」(p253)

・日本の近代小説では、愛や人情を放棄して、義理や義務をまっとうしなければならないという主張が組み込まれている。たとえば主人公が恋愛感情のみに突き動かされて、先の両者を果たせなかった場合には弱者、あるいは軽蔑の対象になる。真の強者とは、このような状況下において個人的欲望を捨て去ってでも為すべきことを為せる者であると指摘されている。
⇒たとえば母親が自分の妻と離縁すると決めたときには、夫はその決定に従うこと、つまり「孝」に従うことこそが最良とされる。

・近代日本人は、その中心的な倫理的概念に誠実さ、つまり「まこと」の精神を置いている。日本人がある人のことを「誠実な人」と呼ぶときには、西欧人がしばしば誤解するように、その人が本当に心の底からの感情や意志によって行動しているということを示唆するものではない。(日本人はむしろそれを退ける傾向にある)この言葉はどのような状況下においても私利を追求しない人、感情を曝け出すことがない人、また心理的葛藤から免れることができる人などを特に示すものである。

・日本では「自重」という言葉は文字通り「重々しい自我」ということを意味する。自重しなければならないということは、つまり現状において、あらゆる判断材料や因子などを常に自らに対して問いかけながら厳密に比較、考量していかなければならないという意味内容を含む。

ルース・ベネディクト『菊と刀』に関するメモ①

皆大好き『菊と刀』に関するメモ書きです。
未読で興味を持たれた方は是非読んでみてください。凄く面白い本です。


○日本人の性格や感情における研究

・『菊と刀』という主題は日本人の矛盾的性格の傾向を反映している。
⇒頑固さと順応性、忠実さと不忠実さ、勇敢さと臆病さなどの性格が場合に応じて錯綜しあっている。特に行動などの原因として「他者」からの影響を受けることが多いと指摘。→この論点に関してはとても納得させられる部分がある。実際に現在の日本における文化(特にサブカルチャー的な領域)を眺めてみると、上記のような矛盾性を確かに持っているように感じることがある。

・ ベネディクトが日本人の具体的な日常的習慣から思想、感情の型を研究していこうと考えた直接的な理由は戦争にあった。(文化人類学的問題と軍事的問題とが交錯)

・ 戦争中であるためにフィールドワークをすることは困難であった。アメリカで暮らしている日本人からの情報の分析、また文献における調査が主となっていると記述。(ジョン・エンブリー著『須恵村』等)そのほか、日本で製作された映画なども研究の材料としていたようである。

・ 文化人類学においては、研究対象となる地域に住んでいる人々の日常生活に根ざした人間の行動や文化における微細な側面、徐々に積み重ねられていく要素(学習など)に注目する必要がある。なお、その際一方的な先入観から決めてかかってはならず、ある文化領域で生活している人間の行動、性格、感情などが、他の領域に住む人々のそれと何らかの関係性を持っているのではないかという問題意識を持つことが重要。ベネディクトはそのような体系的関係が存在しているということをあらかじめ前提として念頭に置いている。

・ 文化や宗教などおける比較研究を行っていくためには、自分あるいは、自分の国民がある固定的な視点に囚われているというような認識をひとまず持っておかなければならない。他の地域における文化の特徴を研究するにしても、たとえば自国の文化や、自分自身そのものの生活基盤を見直していこうとするにあたっても、周りの異質なものを柔軟に受け入れていくという姿勢を保たなければならない。一定の寛容性が必要になる。


○日本人における精神論

・戦争の原因に対する解釈の差異
⇒アメリカでは枢軸国の侵略行為が直接的な原因であると認識するが、日本では大規模な、最終的には世界規模の階層的秩序(日本主導)の形成を求める。(ex. 大東亜)戦争においても世界的な評価を意識している。

・軍事的な劣勢を精神力によって巻き返そうという意志を持つ。有限なもの、すなわち物質的、あるいは肉体的に困難な状況に追いやられるほどに自らの精神(霊魂)を奮起させろという共同的な認識。
⇒有限であるものに対しても正確に目を向けているが、同時に無限的なもの、超越的存在に対する盲目的な信仰心のようなものも感じられる。(矛盾的な性質)英雄的な行為や偶然の現象を奇跡的な事実、起こるべくして起こったことであるかのように祀り上げるなど、肯定的な解釈を加えるというような神風の精神的な要素。
「われわれは受動的に攻撃されたと考えてはいけない、積極的に敵をわれわれの手もとへ引き寄せたのだと考えなければならない」(ベネディクト、p43)

・天皇という存在が単に外部的、あるいは超越的なものとしてだけではなく、国家、個人の精神における不可分な中核として機能していた。
⇒日本では戦争の責任をあくまでも軍部の組織などに置き、部分的にでも天皇に負わせようという意見は圧倒的少数であった。(→この観点はドイツのヒトラーに対する容赦のない戦争責任の追求と対比させられるものであろう)

・戦い続けて死ぬことは名誉であり、捕虜となって生き残ることは生きているとはいえないというような特徴的な精神。国、天皇、個人の名誉などが死生観と結びついている。


○日本における階層秩序に関して

・日本に根づいていた階層制度に対して、アメリカでは「平等」や「自由」といったイデオロギーが精神的な基盤として人々のなかに息づいている。
「トクヴィルの研究の大きな問題は自由と平等の不一致である。(中略)トクヴィルが自由というのは、単に他に依存しないということではなくて、自ら責任を負う品位、それなしには真の支配も真の奉仕もありえないような品位である」(K・レーヴィットの論点)

・日本人の生活習慣のなかには、目上の人を意識した敬意を表す言語表現を含めた礼儀作法(敬語や多様な礼の仕方など)が散りばめられており、それは家族内における父親や長兄を中心とする特徴的な階層制度のなかでも形成されている。なお、こうした階層は単に彼らへの無制限の権力集中を意味するものではなく、この共同体を支えるという重大な責務を果たすこと、そして他の皆(特に女性)に対してもある程度の自由な権利を認めているという柔軟性も含まれていたという観点に特徴がある。
⇒中国から輸入(※)された儒教、仏教などの思想的影響力を少なからず反映している。なお中国では特に姓を重んじ、同様の姓を持つものは同胞であるとみなす傾向にあると述べられている。一方、日本では姓を持つことの出来る階級が武士や貴族などに限られていた。
※中国からは表意文字、生活様式等の様々な文化を輸入したそうであるが、それをありのまま採用するのではなく、問題点がある場合には適宜変更を加えつつ受け入れていたようである。(→西欧文化の導入に際しての類似点。単純な模倣ではなく、適応する形への移行。)

・徳川時代における日本の封建社会では身分の順に「武士(※)、農民、工人、商人、エタ」という確固たる身分制度が確立されていた。特に武士には他の身分の人々を「刀」を用いて裁くことができるという圧倒的権力が独占的に与えられていた。また、西欧社会と対比した場合商人の地位が比較的低く位置づけられている理由としては、徳川側が彼らの行動範囲の広さや活動力が封建制度を破壊してしまう可能性を危惧したからだと考えられている。
⇒上記のようなカースト的組織はそれを破ると死罪になるなどの厳正さを持っていたが、一方で異なった身分間の結婚が許容されているなどの特徴を持っていることにも注目するべきだろう。
※西欧の封建社会における領主と騎士の関係に比べると、日本の主君と武士との関係はより密接なものであったとされている。武人としてだけではなく、財産の管理等を補助するなどの仕事も与えられていた。


○明治維新以後の階層形態


・明治新政府は成立してから数年の間に、各藩の大名の課税権の撤廃、これまで存続していた社会的階級の廃止などをはじめとする様々な改革を推し進めることになった。ただ、これらの革新的な改革は多くの人々にとって不評だったようである。(ex.西郷隆盛が指揮する反乱、多発する農民一揆など)
⇒主として封建時代に下層武士階級と商人階級に位置して能力を蓄えつつあったものたちが、新政府の成立後に連合関係を組むことで新しい政策を牽引していた。イデオロギーとしてではなく、むしろ事業という姿勢をもって展開されていった。

・これまでの武士、農民、商人などの階層秩序は事実上撤廃されることになったが、王政復古という側面から日本の根底にある階層性、つまり天皇を頂点とする純化した階層的秩序の構造は残されることになる。「閣下」などの新しい指導者などが置かれ、中央集権的な支配の傾向は一層強まることになった。
⇒天皇を中心とする階層性は人々の思想的な領域において破壊されることが危惧されていたようである。(→その存在の神聖性、そこから派生する階層秩序がどれだけ人々の精神、あるいは自らに対して与える場や規律に寄与しているかということを正確に理解することが必要)
⇒政治における階層においても天皇と直接的に接触が可能であるような重臣たちが必然的に高い位置にとなり、選挙によって選ばれた議員などは十分な発言権を獲得することができなかったと述べられている。

・「部落」などの単位を中心とする地方共同体
⇒部落は当時において国家の手の及ばない領域であったとされている。ここで部落長は他のアジアの国々でみられるように国税の徴収などを行う必要はなく、民主的な責任をもって仕事をこなしていけばよかったと述べられている。したがって地方行政は政党政治から多大な影響をこうむることなく、自治権をもって比較的独立した形で機能していた。しかし、警察官や教師がすべて国家から送られること、またその土地や人々と強固な繋がりを持たないように場合によっては転任させられるなどという例外もいくつかあったようである。


○日本人がもつ「恩」の概念

・日本語の「恩」という言葉は、英語の‘obligation’とは似てはいるが異なる意味を持っており、場合によっては「忠誠」、「親切」、「愛」などといった用法も含むものである。
⇒日本人にとって「恩を受ける」ということは単に喜ばしいこと、相手に感謝を払うものとしてだけではなく、同時に忘れてはならない「恩を返す」という債務を背負うということも意味する。(ex.子供が親から受けた恩を返す等)

・同様に「ありがとう」、「すみません」、などという日常用語のなかにも、それぞれ感謝や陳謝の念以外の否定的意味合いが含まれる。言葉を向ける対象となる相手との心理的な対決姿勢のようなものがある。その際受け取ったものを「返す」ということに優位性が置かれる。(日本人は無条件かつ一方的に何か(物、感情等)を受け取るということに警戒感を抱く場合が多い。「ただより高いものはない」という言葉もある。)
→日本では「恩」の授受を主要なテーマとした話は多いように思われる。昔から馴染み深い物語では忠犬ハチの話や鶴の恩返しなどに象徴されるが、現代でも様々なメディアに反映されているように感じる。人間同士だけではなく、人間と人間以外の何か(主として動物、植物など)との繋がりを媒介する概念として描かれていることもある。

・アメリカ人が日本人の持つ恩の概念を理解するためには、債権・債務者を意識した経済上の取引を常に思い浮かべておく必要がある。
→個人的見解としては、現代日本の「恩」に視点をあてると、それが経済取引と比較するほど厳密、あるいは量的なものに換算が可能なのかという観点に疑問が残る。確かに形式的には行われているように思われるが、先行するものはより不明確で、もっと有機的な何かのように感じることがある。

・受けた恩を返すときには、その対象によって異なる義務を遂行する。
⇒天皇、法律、国に対する義務(「忠」)、両親や祖先に対する義務(「孝」)、自らに課された仕事に対する義務(「任務」)など。孝や忠は、語源となった中国では徳と結びついた全くことなる概念として捉えられていたが、日本ではこれをほぼ無条件的なものとして受け入れる基盤を作り上げている。(ex.「義務」教育など)

・日本人が敗戦を受け入れたのは、ラジオによって放送された天皇の声を通じて内面に形成されていた「忠」(上記参照)が触発されたことが関与していると指摘されている。行動の方向性そのものが一連の義務と密接に関わっていると思われる。



共通感覚論に関する一考察①

9月に入ってから書いた共通感覚論に関するレポートを掲載します。
正直、まだ読み込みが甘いので、もうちょっと煮詰めた後、別のレポートを再掲載できたらなと思っています。今回は思ったことをつらつらと書き綴ってみました。


序論

  私たちにとって所与の五感(触覚、聴覚、視覚、嗅覚、味覚)は本質的にはどれかひとつのみが単一的に機能するということはない。マクルーハンがヨーロッパ中世における“音読”と現代における“黙読”を比較対応させながら後者のような「目だけで追って読む」という行為に喉頭の微細な運動が必ずついてまわっていると語っているように、そこには必ず感覚連関がついてくるといってよい。したがって、彼の有名な「メディウムは身体を拡張させる」という箴言が含意するところもメディウムとひとつの身体的部位の単一的対応のみを示唆するものではないということを明示しておかなければならない。それはむしろ、二者における、トポス、状況という条件を考慮した上での複合的連動に他ならない。“音読”という行為は見て(目-視覚)-声に出して(喉-聴覚)読むという身体的-感覚的連動を指示する言説であるといえる。かつて、古代ギリシャの哲学者のひとりであるアリストテレスは上記のような感覚的綜合、つまり「共通感覚」を「運動の感覚」と見なしていたとされる意味も上記のような理由から理解されることだろう。すなわち、それは木村敏が指摘するところに拠るならば「世界との実践的・行為的な関わりの感覚」に他ならない(木村、2005年、p71)。私たちが内在化させている感覚機能は外部世界との接触から発生する求心化・遠心化作用のなかでマクルーハンのいう「拡張」という言葉のみには還元することのできない多層的生産状況に立たされているといえよう。本論では、こうした共通感覚論について主として中村雄二郎と木村敏の論点を参考にしながら再考していくことを目的とする。


1.共通感覚と常識


コモン・センス(common sense)という言葉を聞いて、私たちはこれをどのように日本語的解釈するであろうか。通常であれば、これを「常識」や「良識」という概念-意味に置き換えて理解するのが妥当であると思われる。しかしながら、この概念-意味の淵源を辿ってゆくと最終的には「五感を貫き統合する」という意味の「共通感覚」(sensus communis)に行き着くことがわかる(中村、1979年、p7-8)。この論点についてアリストテレスは次のような印象的見解を述べている。「われわれ人間は、同じ種類の感覚、たとえば視覚相互や味覚相互の間だけではなく、異なった種類の感覚、たとえば視覚と味覚の間でも、互いにそれらを比較したり識別したりすることができる」(中村、1979年、p8)この見解は現在の私たちの視座からしても極めて機智に富んでいると結論付けることができよう1。中村の見解に依拠するならばそれは「知の組み換え」を可能とするシステムに他ならない。それは世界の整序に有用であるといえる。だが、一方で、アリストテレスの時代における“共通感覚(センスス・コムニス)”と現代における共通感覚とは根本的に異なる特徴を備えている事実を忘却することはできない。アリストテレスが考える“共通感覚”とは、諸感覚の比較、統合、類推化など以外にも、感性と理性とを結びつける役割を備えたものとして認識されている。あるいは、アリストテレスの時代においては近代から現代に至るまでに前進してゆく、つまり私たちが周知のものとしている、解剖学、大脳生理学、生物学的知識をバックグラウンドとした高度な科学的・医学的見地から把持される有機的な循環構造的人間像が成立していない。したがって、個別的身体、そして個別的諸感覚は常に社会に開かれている、あるいはそれと結合していると見るべきである。単一的身体に対応する、つまり一人の人間の五感的連動のみを示唆するというよりも、それがひとつの間主体的世界のなかで人々が共通に備えている集合的判断力や常識に照応させることではじめてエピステーメーに即した正確な認識が可能になると考えるべきであろう。
  この共通感覚と常識との結びつきについては更に一考の余地がある。中村は戸坂潤の『日本イデオロギー論』における「<常識>の分析」を参照した上で、戸坂は共通感覚を内部感覚(内感)として捉えなおし、これによって人間の意識の統一や個人の統一が形成され、その結果として社会内における個人に浸透・定着化する常識の統一の導かれると主張したと叙述している(中村、1972年、p21-22)。だが、前述においても少し触れたが、この“共通感覚”論に関する議論はアリストテレスの時代性に即するならば完全なる個別性を基礎とする近代的世界観に還元不可能な「間主体的世界」の規範の下にこそ(あるいはその世界内における集合的身体の現象)展開されるべきであると考える。であるから、ここで括弧つきで取り上げている“共通感覚”の概念を安易に他の社会、文化構造内における身体機能、特に近代的身体機能に適応させることには注意しなければならない。それは常識というコンテクストと結び特定の社会規範下において個別的に発現するシステムを指向している。
  一方、中村自身の論点としては共通感覚と常識とを架橋する一因として前者の「惰性化」が範例として挙げられていることにも着目したい。つまり、現代においては共通感覚による五感の統合の仕方が「惰性化」(その機能を十全に働かせていない状態になる)することによって、過去においては豊かな知恵としての常識であったものが、世俗的な社会通念としての常識という下位段階に追いやられていると主張する。このとき要請されるのが上記のような常識を高位段階へと導く基盤となる本来的な機能を取り戻した“共通感覚”であると叙述されている。だが、私見では、ここで中村が提唱している共通感覚-常識、知や感覚の組み換えといった議論はいささか強引であることは否めないように思われる。そもそも、アリストテレス的共通感覚が私たちの考える「五感」以上のものを戦略的射程に収めているということが事実であるとはいえ、この問題に現代思想的視座をもってして深く取り組んでいくには近代(特にカントの先見的綜合やヘーゲルの弁証法)を中心とする哲学的論議、あるいは社会学的見地の媒介が必要になってくることはいうまでもない。中村自身も「いまはただ概括的展望を示すにとどめざるをえない」(中村、1972年、p30)という結論に留めていることから、上記の見解が『共通感覚論』執筆当時においては部分的には未だ曖昧な試論的体裁を帯びているということもまた事実であろう。
  私たちがこの共通感覚-常識の問題について考えていく場合、特に注意しなければならない観点はマルクスの言葉を引用させてもらうならば「五感の形成は、現在に至るまでの全世界史の一つの労作である」のであって“その当時における”歴史、社会、文化などと独立分離させて断片的に語りうるものではないということである。つまり、共通感覚を含む人間的感性とは、本来的には歴史を通じて、社会、文化、メディア、他者とのコミュニケーションのなかで相関的に形成されていると見るべきなのだ。したがって、通説的なメディア論やメディア史のなかで登場する感覚論、あるいは共通感覚論や感覚比率的な言説の“読み”は非常に注意深く行っていかなければならない。特定のメディアを媒介にして「聴くこと」あるいは「見ること」が部分的感覚としてではなく総合的感覚の働きとして機能する一連の流れや局面に考察の目を巡らせてゆくためには、まずもって、その両者の行為主体がいかなる社会構造内に置かれているかという内容について触れなければならないのである。
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